【基礎編】シミュレーション活用ナレッジ

塗膜乾燥のシミュレーション — 塗布・塗装・電極プロセスの1D/3D解析入門

2026.02.26
この記事をシェア

1. はじめに

自動車塗装、二次電池の電極、機能性フィルムなどの、ものづくりの現場において「塗布・乾燥」は避けて通れない重要なプロセスです。しかし、乾燥工程は単に溶媒を飛ばすだけの単純な作業ではなく、乾燥中の塗膜内部ではさまざまな変化が同時に進行しています。そのため、表面の白化、乾燥後のクラック、基材からの剥離といったトラブルに直面した際、乾燥中の塗膜内部で起きている成分の移動と相分離を理解することが、問題解決の近道となります。
本記事では、実験だけでは見えにくい塗膜乾燥のメカニズムと、それを解き明かすシミュレーションによるアプローチについて解説します。

塗膜の厚みは数µm〜数百µmの世界ですが、その内部では大きな変化が起きています。特に問題となるのが、乾燥に伴って生じる膜厚方向(Z軸方向)の濃度分布です。溶媒が表面から蒸発する際、塗料中の固形分(樹脂、バインダー、粒子など)は、以下の2つの作用がせめぎ合う中で分布を変えていきます[1-4,11]

  • 移流:表面から溶媒とともに運ばれていく流れ
  • 拡散:濃度差を解消して均一になろうとする動き
このバランスによって、スキン層の形成や成分の偏析など、さまざまな現象につながります。

図1:塗膜乾燥のイメージ
図1:塗膜乾燥のイメージ

2. 適切なモデルの選択

シミュレーションを行う際、すべての現象を詳細な3次元モデルで計算する必要はありません。現象の特徴に応じて、モデルを適切に使い分けることが重要です。

①3次元モデルが必要なケース 塗膜の面内方向に µm スケールやそれ以下の微細な構造(ドメイン)ができる場合、3次元モデルが有効です。たとえば、次のようなケースです。

  • 機能性フィルムで、意図的に相分離させて海島構造や共連続構造を作りたい場合
  • 乾燥にともなう温度ムラ・濃度ムラによって、面内方向にマランゴニ対流のような強い流れが生じる場合

蒸発プロセス中のフィラー分散構造のミクロな挙動を確認したい場合も含めて、これらは膜厚方向だけの1次元モデルでは表現できないため、3次元的な解析が重要になります[5,6,9,12,13]

図2.1次元モデルと3次元モデルによるシミュレーションのイメージ
図2.1次元モデルと3次元モデルによるシミュレーションのイメージ

②1次元モデルが有効なケース
一方で、次のような場合には1次元モデルが非常に有効です。

  • 面内方向がほぼ均一とみなせる広い塗布面である
  • トラブルの原因が「塗膜の厚み方向の濃度ムラ」に集中していそうだと考えられる

このとき、広い塗布面から厚み方向(Z軸)だけを切り出したモデルを使えば、計算コストを大幅に抑えつつ、成分の移動や相分離の本質をつかむことができます。

3. 1次元シミュレーションがよく適用される理由

多くのケースで、まず1次元モデルから検討することが現実的である背景には、「時間スケール」の違いがあります。物質の拡散にかかる時間 t は、移動距離 L の2乗に比例し、おおよそ、t ~ L2 / Dのように表されます。ここで D は拡散係数です。膜厚方向(数十〜百µm)と面内方向(mm〜cm)ではオーダーが異なるため、同じ拡散係数 D でも、面内方向の拡散には桁違いに長い時間が必要になります。
一般的な高分子溶液で、条件にもよりますが拡散係数 D が 10-10~10-11 m2/s 程度だと仮定して、上の式からごく大まかに見積もると、

  • 膜厚方向(数十〜百µm)の拡散:比較的短い時間スケール(秒〜分)で進行する
  • 面内方向(mm〜cm)の拡散:その何桁も長い時間スケール(時間〜日)が必要になる
そのため、通常の乾燥プロセスの時間スケールでは、「面内方向にはほとんど動いていない」とみなせる状況が多いのです。

この特徴を利用して、まずは1次元モデルで膜厚方向の挙動を素早く評価し、温度・膜厚・溶媒種などの条件を振って条件を絞り込む、といった使い方が効率的と考えています。そこから、必要に応じて3次元モデルに展開する、という階層的なアプローチが現実的です。

4. 乾く速さと混ざる速さ

1次元モデルで膜厚方向の濃度分布を見る際に便利な指標が、ペクレ数(Péclet number : Pe) です。 Pe は乾く速さ(膜が収縮する速度)と混ざる速さ(拡散の速度)の比を表します。「Pe ~ (乾燥による見かけの移動速度) / (拡散による混ざりやすさ)」。直感的には、次のようにイメージできます。

  • Pe が大きい(急速乾燥)
    乾燥(溶媒が抜ける)スピードが拡散よりもずっと速いため、成分が混ざり切る前に表面がどんどん濃縮されます。その結果、表面にスキン層ができやすく、表面硬化や内部への溶媒残留リスクが高くなります。
  • Pe が小さい(ゆっくり乾燥)
    拡散が乾燥を「追いかけて」くれるため、成分は膜厚方向に比較的均一に分布しやすくなります。均質な塗膜を得やすい条件と言えます。

図3:ペクレ数(Pe)の違いによる濃度分布のイメージ
図3:ペクレ数(Pe)の違いによる濃度分布のイメージ
Pe数が大きいと表層(横軸がhの位置)の溶質濃度が高くなり、スキン層を形成する。

Peは、乾燥条件(温度、雰囲気、膜厚など)を変えたときに、どの条件が「高Pe寄りか」「低Pe寄りか」を定量的に比べるための軸として有用です。塗装、電極塗工、膜形成といったさまざまなプロセスで、この指標に基づく議論が可能です。

5. 産業分野別の活用イメージ

このような考え方とシミュレーションは、さまざまな製品開発に応用できます。

①自動車塗装
自動車塗装の分野では、光沢低下や白化、クラックや密着不良といった現象がしばしば課題になります。こうした現象の背景には、塗膜内部、特に膜厚方向の成分分布や構造が関わっていると考えられており、どの成分をどこに分布させるかを設計することが重要なテーマになります。実験とシミュレーション結果を活用することで、所望の内部構造が得られる配合や乾燥条件を検討します。たとえば、一回の塗装プロセスで、耐候性が求められる塗膜表面側にアクリル樹脂を多く分布させる、防食性と付着性が重要な基材界面側にエポキシ樹脂を多く分布させる、という成分・機能傾斜構造の実現を目指し、シミュレーションが適用された例があります [7,8]

②電池電極
リチウムイオン電池などの電極製造では、バインダー成分の偏析が問題になります。高温側の乾燥条件では、バインダーや導電材が表面側へ移動し、集電体(基材)近傍ではそれらの量が相対的に少なくなるような厚み方向の偏りが生じることが報告されています [10]。こうした厚み方向の偏りは、電極の機械的・電気的特性に望ましくない影響を及ぼす可能性があります。また、1次元 モデルを用いて乾燥中の厚み方向に沿ったバインダー濃度分布を時間とともに追跡し、乾燥速度などが分布に与える影響が議論されています [11]。たとえば1次元 モデルで集電体界面付近のバインダー濃度を予測し、どこまで乾燥速度を速くすると不具合が生じるリスクが高まるかを検討する、という使い方が考えられます。
さらに、たとえば微粒子をあらわに扱うなど、より詳細なメカニズム解析のためには3次元モデルが適用されます。対象スケールによって、粗視化分子動力学や、連続体モデルに基づく粒子法を用いた例があります[5,6]。こうしたシミュレーション結果を、乾燥条件のスクリーニングやプロセスウィンドウ設定の判断材料として活用していくのが狙いです。

③機能性膜
フィルターなどの多孔質膜では、乾燥や溶媒置換にともなう相分離で多孔質構造が形成されます。このとき、蒸発プロセス中のフィルム内で生じる相分離は、そのタイミングや速度によって最終構造が変化します。そのため、必要に応じて3次元のPhase-Fieldモデルで相分離パターンやドメインサイズ(孔径)を評価する手法が有効です[12,13]。1次元モデルで蒸発・拡散・相分離の時間関係を確認し、重要な条件に絞り込んでから3次元解析に進むことで、計算コストと設計の深さの両立がしやすくなります。

6. シミュレーションソフトウェアの適用

今まで見てきたような複雑な物理現象(蒸発、拡散、微粒子分散、相分離、スキン形成など)を扱うため、J-OCTA にはいくつかのシミュレーション手法が搭載されています。それぞれの手法の特徴や対象空間スケールを理解して適用することが大切です。また、最近では機械学習との連携も期待されます。シミュレーション結果を学習させることで高速な予測などに適用できる可能性があります。

・(粗視化)分子動力学・・・空間スケール:おおよそ10nm~100nm
フィラーと分子の相互作用などを詳細に扱うミクロな解析が可能です。

図4. 粗視化分子動力学の例
図4. 粗視化分子動力学の例
溶媒(青)が蒸発することでポリマー(赤、黄)が相分離構造を形成する

・散逸粒子動力学(DPD)・・・空間スケール:おおよそ10nm~1μm
フィラーも含む相分離ダイナミクスを解析します。流体力学効果も考慮します。
・平均場法(Phase-Field、SCFT)・・・空間スケール:おおよそ10nm~10μm
相分離構造を解析します。3次元モデルは詳細なミクロ構造を解析します。1次元モデルは大きなスケールに適用できます。流れ場の解析とのカップリングも可能です。

図5. 1次元のPhase-Fieldモデルの例
図5. 1次元のPhase-Fieldモデルの例
溶媒成分が気相領域に拡散して抜けていくとポリマーが層状の相分離構造を形成する

・連続体モデルに基づく流体解析(粒子法など)・・・空間スケール:おおよそ100nm~100μm
分子描像ではなくなりますが、フィラー分散中の流れ場などより大きなスケールで解析します。

図6.3次元の連続体モデルに基づく粒子法のシミュレーション例
図6.3次元の連続体モデルに基づく粒子法のシミュレーション例
溶媒成分が蒸発すると大きさの異なる微粒子が連結構造を形成する

7. まとめ

塗膜乾燥プロセスでは、「乾く途中で、内部で何が起きているか」を理解することが重要です。シミュレーションを活用するのであれば、まずは1次元モデルで膜厚方向の成分分布やスキン形成の有無をチェックし、必要なら3次元モデルで微細構造を詳細に見るといった、段階的なアプローチを取るとよいでしょう。これにより、実験のトライ&エラーを減らし、開発サイクルを短くしていくことが期待できます。

今回ご紹介した内容に興味がございましたら、お気軽にご相談ください。

参考文献
  1. Journal of Electrochemical Energy Conversion and Storage, 20, 030801,(2023).
    https://doi.org/10.1115/1.4055392
  2. Physical Review Letters, 97, 136103, (2006).
    https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.97.136103
  3. Japanese Journal of Applied Physics, 45, 8817, (2006).
    https://doi.org/10.1143/JJAP.45.8817
  4. Nihon Reoroji Gakkaishi, 39, 17, (2011).
    https://doi.org/10.1678/rheology.39.17
  5. DPDによる溶媒蒸発シミュレーション
    https://www.jsol-cae.com/products/j-octa/cases/A026.html
  6. 液膜蒸発乾燥シミュレーション
    https://www.jsol-cae.com/products/j-octa/cases/A073.html
  7. 関西ペイント株式会社様, 塗料の研究, 146, (2006)
    https://asset.kansai.co.jp/uploads/rd/paint_study/pdf/146/02.pdf
  8. 関西ペイント株式会社様, 塗料の研究, 143, (2005)
    https://asset.kansai.co.jp/uploads/rd/paint_study/pdf/143/06.pdf
  9. スラリー塗工プロセス [トヨタ自動車株式会社様]
    https://www.jsol-cae.com/products/j-octa/cases/A036.html
  10. Journal of Power Sources, 591, 233883, (2024).
    https://doi.org/10.1016/j.jpowsour.2023.233883
  11. Journal of Power Sources, 393, 177, (2018).
    https://doi.org/10.1016/j.jpowsour.2018.04.097
  12. 高分子膜の相分離プロセスシミュレーション
    https://www.jsol-cae.com/products/j-octa/cases/A062.html
  13. Journal of Membrane Science, 620, 118941, (2021).
    https://doi.org/10.1016/j.memsci.2020.118941
トップへ戻る