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リアルワールドの自動車衝突安全に向けて
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はじめに
皆さま、「バーチャルテスト(Virtual Testing)」という言葉をお聞きになったことはありますでしょうか。この言葉は近年、自動車衝突安全シミュレーション業界で非常に注目されており、一般に「VT」と略されます。「バーチャルテスト」は文字通り仮想試験のことを指しますが、「自動車衝突安全におけるバーチャルテスト」という文脈では、EuroNCAPやC-NCAP、IIHSなどの評価機関が「シミュレーション結果を安全性能評価に取り入れること」を指します。バーチャルテストの目的は、リアルワールドでの安全性の向上にあり、主要国の自動車アセスメントにおいて、バーチャルテストが広がっています。
引用元:Final Report Summary - IMVITER (Implementation of virtual testing in safety regulations)
この図は2009年から2012年に実施されたユーロプロジェクトIMVITERの最終報告です。この報告では、実機試験とバーチャル試験におけるバランスが変わる変曲点が2020年ごろに到来し、その後リアルワールドセーフティに向けてバーチャルテストの導入が加速することが示されました。2030年、2040年と時代が進んでいくに従い、純粋なリアルテストだけによる評価はどんどん減っていき、バーチャルテストの割合が増えていく、つまりリアルテストとバーチャルテストの融合が進むことが示されました。その変曲点が、まさに今、訪れています。
バーチャルテストに向けたEuroNCAPの動き
この変化を主導してきたのはEuroNCAPですが、なぜ彼らがバーチャルテストを推進するのかについて、EuroNCAPは5つの理由を示しています。
まず1つ目として、ハードウェアの制約を取り払いたいという点です。具体的には、人体ダミー人形の生体忠実度の限界を克服するため、人体モデルの活用に期待が示されています。
次に、ダイバーシティーの観点です。これまでの人体ダミー人形はAM50、つまりアメリカ成人男性の平均体型を基準にして作成されてきました。その後、小柄なアメリカ人女性なども開発され、これらの体型で安全性が確認できれば「安全」とみなす考え方でした。しかし、地域や年齢、BMIの違いなど、より幅広い多様性に対して安全性を確認するべきという流れになっています。このような多様な体型に対し、複数の方向からの衝突リスクを評価する人体ダミーをそれぞれ開発することは、コスト面でも期間面でも現実的ではありません。そこで、人体の有限要素モデルの活用が期待されています。
3つ目は、衝突条件のバリエーションです。EuroNCAPが示す「Robustness」は、衝突時に乗員を守る拘束装置の性能のロバスト性、つまり、1つの衝突条件に対して拘束装置が過度に最適化されていないことを指しています。現在の主流である実機試験に基づく評価では、コストの観点で試験回数が限られるため、試験条件は厳密に絞った特定の条件下での安全性のみで評価せざるを得ません。たとえばODB(Offset Deformable Barrier)試験では、速度や衝突位置が厳密に定められており、条件が規定値から一定以上外れると試験がやり直しになります。そのため、衝突安全性能の開発は特定条件に合わせて最適化されがちでした。しかし、実際の統計を見ていくと、想定よりも緩い衝突条件にもかかわらず、想定以上の怪我を負うケースも見受けられます。EuroNCAPとしては、試験条件を絞ることにより、特定の条件に最適化されすぎた自動車が作られてしまっているのではという問題意識から、今後この拘束装置性能のロバスト性を上げる方向にシフトしていこうとしていると考えられます。このように、評価に関する解像度が上がることで、これまで以上に高度な評価ができることを目指しているといえます。
最後に、テストのコスト削減についてです。これは、今よりも開発・評価コストが減るということではありません。生体忠実度の向上やダイバーシティーを考慮した上で衝突条件のバリエーションを増やした評価を行おうとすると、コストは指数関数的に増加してしまいます。そこで、シミュレーションを用いることによりコスト上昇を抑えましょう、とそういう観点でのコスト削減という意味になります。
まとめますと、リアルワールドでの安全性向上に向け「安全」の定義が大きく変わる、いわゆるパラダイムシフトが2030年に向けて起きようとしているといえます。
バーチャルテストが乗員保護性能設計に与えるインパクト
EuroNCAPは3年に1回大きなルール改定を行うため、2026年、2029年、2032年の3段階でVTが広がっていくことになります。これまで、NCAPアセスメントに関してはEuroNCAPが主導していく形だったのですが、VTに関しては中国も非常に大きな推進力となって物事が進んでいます。VTが広がることにより、シミュレーションだからこそ実現可能な検討、たとえば複数ロードケースにおける多面的な安全性評価や人体有限要素モデルを用いた傷害リスク評価がなされることで、リアルワールドでの安全性能が上がるのであれば、それは好ましいことです。一方で、これまで企業努力によって削減されたコスト対策の効果を打ち消すほどの開発コスト増加も懸念されます。このような環境のダイナミックな変化や、安全性に対する要求の爆発的な高まりをマネージするためには、これまでの延長線上のカイゼン対応だけでなく、開発体制そのもののシフトチェンジが必要といえます。
バーチャルテストに向けたパラダイムシフトは、大きく以下の4つに分類されると考えています。
- CAEモデルの精度の定義が変わる
- これまでシミュレーションと試験結果の比較は主に最終評価値である傷害値などスカラー値の誤差+−何%かで評価されてきました。しかし、バーチャルテストのスキームでは、複数のセンサー出力に対して途中経過も含めた一致度(ISO18571)として評価されます。今後は、複数の条件下における複数のセンサー出力の一致度を実機と比較することが当たり前になっていくと考えられます。
- ロバスト性の重要性が高まる
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- ① 製品の性能評価が点から面へ
- これまで自動車の安全性は「厳密に定義された衝突条件で安全=安全」とされてきました。しかし、バーチャルテストでは「複数の衝突条件すべてで安全=安全」という定義に変わります。将来的には、複数の体型や年齢の違いも加味され、異なる条件下でも安定して高いパフォーマンスを発揮する設計が求められていくことが予想されます。
- ② 生産ばらつきに強い設計が重要になる
- EuroNCAP Far-SideのVT評価プロトコルを例にとると、シミュレーション結果をすべて提出し、計算の妥当性がチェックされOKが出た後にのみ試験が行えるルールがあり、その条件の下で、先述のISOレーティングによって実験とCAEの精度が評価されます。
- 試験をするたびに結果がばらつくような状況では設計で狙った「安全性能の的」が動いてしまい、高いISOスコアを得ようとすることは、まるで目を閉じて動く的に矢を放つような状況と言えます。そのため実機試験の条件や個体差・製造ばらつきなどによる変動があっても結果が変わりにくい「ロバストな設計」が今後不可欠になると考えています。
- ダミーFEモデル・人体FEモデルの利用が進む
- これまで、世界共通で「アメリカ人男性/女性の標準体型の乗員ダミーのセンサー出力(加速度、力)に基づく傷害値が基準以下=安全」という定義でした。しかし今後は、リアルワールドに即した、人体の内臓へのダメージ蓄積や骨折などといった実際に起きる損傷の発生確率での評価に移っていくと考えられます。将来的には、各国の体格的特性や年齢、筋活性による影響を考慮した評価が行われる可能性もあります。また、ダミーFEモデルや人体FEモデルは共に、単体の状態で実験と比較してクオリティーを確認する「検定」をパスしたモデル以外は使えなくなるため、これまで以上にモデルクオリティーやモデルの管理(ハンドリング)が重要となります。
- CAE結果のトレーサビリティーが求められる
- これまで、乗員保護シミュレーションは実際の実機試験の成功確率を上げるための補助ツールでした。しかし、シミュレーションの結果が直接評価に使われるにあたり、シミュレーションモデルや計算結果の素性に対する説明責任が高まると予想されており、すでにトレーサビリティーをどう担保するかの議論が始まっています。また現状のプロトコルでは、開発を終えたシミュレーションモデルはフリーズされ、初期条件だけを変えた計算結果を提出し、ルールで定められた条件以外は変更しないことが求められています。またエアバッグでは構成要素自体の精度保証を示した上で、それを用いた計算結果の提出を求める動きも始まっています。
このように、上記4つの大きな変化により開発コストの大幅増が懸念されます。JSOLでは、この4つの変化にどう対応していくのかについて、さまざまな支援をしていきたいと考えております。
今回は自動車衝突安全におけるバーチャルテストの概要についてご紹介しました。次回からは4つの変化の具体的な内容やそれらに対してどのように取り組めばよいのかについて、JSOLの考えをご紹介できればと考えております。
自動車衝突安全のバーチャルテストや、それ以外のバーチャル認証についてご興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください。
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