ルーツをたどり新しい発見を語ることは楽しいものだ。しかし聞かされる側は、それほど楽しくない。今回はそれを承知で有限要素法(FEM)のルーツについて少し語りたい。
FEMのルーツは、Zienkiewicz の説によれば[1] 1956年に発表された"複雑な構造の剛性とたわみ"についての論文[2]となる。発表者は4人の連名であり、所属はTurnerとTopp がBoeing社の技師、Cloughはカリフォルニア大学の准教授、Martinはワシントン大学の教授だった。
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[図1] 文献[2]での説明図
図1は論文で用いられたモデル図である。解析手順を復習する。
まず1)対象を単純な要素が節点で繋がった集まりと考え、2)要素ごとに節点での力と変形の関係をもとめ、3)節点での力の釣合式をたてる。4)もともと繋がっていた節点の変位を同じ記号で表すことにより変形の連続性は自動的に満たされるようにする。2)、3)、4)から節点の変位を未知数とする方程式を組立て、荷重条件、支持条件を考慮して解けばよい。
この手順を眺めると、構造力学を少しでもかじった人ならFEMが唐突に生まれたものではないことがわかる。そのプリミティブな形式は柱と梁の集成からなる骨組構造の解析法にみられる。それは1918年11月にWilsonが発表した「たわみ角法」だ[3]。1)〜4)の手順は(層方程式は別として)ほとんどそのままあてはまる。異なるのは、5)線材要素(柱や梁など)だけでなく、面材要素、6面体要素などの2次元的、3次元的に拡がりを有する要素を含むことや 6)集成したとはとても見えないものを勝手にメッシュ分割してバラバラにするところから考えていくところにある。5)と6)とがFEMの特徴ではあるが、「たわみ角法」で用いられた1)の「単純な要素の集まりとして考える」ことへの慣れがなければFEMの誕生は相当遅れていたであろう。
ところで、コロンボ刑事に登場してもらうまでもなく何事にも「動機」というものがある。FEMは、7)爆撃機B52の翼の振動問題などで必要となった。図1は翼の構造を模式化している。又、論文の引用文献のはじめには後退翼の関連論文も並んでいる。
一方、たわみ角法は、摩天楼(昔は超高層ビルをそうよんでいた)がハリケーンなどでどのくらいたわむかが必要となり考案されたものだ。ちなみに映画の「摩天楼」では建築家のフランク・ロイド・ライトとおぼしき役を演じるゲーリー・クーパーが相手役のパトリシャ・ニールと不倫関係におちいった話は映画ファンによく知られている。
FEMの誕生には、こうした「動機」以外にも「周辺の環境整備」も無視できない。当時、8)種々の解析理論の体系化が進んでいた。さらには、9)DOループによる繰り返し演算が得意なコンピュータの普及が間近にあった。この9)により、FEMとコンピュータとの蜜月旅行が今日も続いているわけである。
この稿での大事なポイントはここからだ。Wilsonによる「たわみ角法」では接合部は完全剛な節点と仮定している。彼はこの仮定についてこう述べている。
Recent test by Abe show that the first assumption is approximately true
for reinforced concrete frame, ・・・
ここにでてくる Abe とは 阿部美樹志である。なんと彼は大正7年(1918)にはイリノイ大学で鉄筋コンクリートの実験をしていた。そして、柱や梁との接合部は「剛な節点」としても概ねよろしいとしている。(「節点」については、「節点力」このあやしげなもの、との表題で2008.2.6付けのコラムでもふれている)
「たわみ角法」はコンピュータが普及するまで建築構造において世界を席巻してきた。その核心部分になんと阿部が関わっていたとは実に驚きである。
ところで阿部美樹志は何者だろうか。日本に帰国したあと設計活動を行っている。大阪梅田の旧阪急百貨店の1階ホールは彼の設計である。竣工当時は宮殿の大ホールのようにアーチ型天井からなる荘厳さがあった。なんと、その各アーチの頂点に柱をたて5階分の百貨店の重量を支えるという大胆な設計だ。その後、大手建設会社の重役となり、終戦後には第2代目の戦災復興院総裁となっている。ちなみに初代は阪急の創設者であった小林一三だ。この戦災復興院は後に内務省の一部と統合されて建設院、さらに建設省となり、現在は国土交通省と名を変えている。少し大袈裟に言えば、阿部はFEM着想のルーツとなる「たわみ角法」を支えるとともに、建設大臣にまでのぼりつめたことになる。そして実に不思議なことに、阿部美樹志についてはほとんど知られていない。まさに中島みゆきの歌「地上の星」の世界だ。
前の稿では「故きを温ね新しきを知る」について述べた。それが出来なければ師たる資格はない、とも言った。では、このFEMのルーツを温ねた結果、どのような新しさを知ったのだろうか。それは読者に聞いてみるより他になさそうである。おそらく「勉強ぐせ」のついたネガティブ型人間なら拙稿のミスを指摘されるだろう。その出だしは、かならずしも・・からはじまる。そして、むしろ・・と続くはずだ。自分でも書きながらそれを感じる。ただ、この荒っぽくカビ臭い話の中に、なんらかの先人の精気を感じ取っていただければと願う。上質のブルーチーズとワインのように。
- [1] O.C.Zienkiewitz,"The Finite Element Method: From Intuition to Generality", Applied Mechanics Review (1970) pp.249-256
- [2] M.J.Turner, R.W.Clough, H.C.Martin and L.J.Topp, "Stiffness and Deflection Analysis of Complex Structures", Journal of the Aeronautical Sciences, Sept. 1956, pp.805-823(+854)
- [3] W.M.Wilson, F.E.Richart and Camillo Weiss, "Analysis of Statically indeterminate Structures by the Slope Deflection Method", Univ. of Illinois Engineering Experimental Station, Bulletin No.108, (1918), pp.1-214 (Abe の論文引用箇所は p.28)
なお、FEMのルーツとして「たわみ角法」が対象としている剛接骨組(ラーメン:Rahmen)よりもっと古くから用いられているピン接骨組(トラス:Truss)の解法も考えられる。トラスは古い橋梁などに多くみられる形式で三角形の組み合わせによりなっている。しかし、その解析は静定構造(Statically Determinate Structure)を前提としたものが普通で、エレガントな図式解法(Cremona図法)で解かれていた。