
CAE Technical Library 橘サイバー研究室 - CAE技術情報ライブラリ
Vol.38 マリリン・モンローとオードリー・ヘップバーンの決闘
2015年12月3日
少しばかり固い話が続いた。やわらかい話にきりかえよう。クラシック映画の話だ。昔とちがって頭に組み込まれたセンサーはテレビやパソコンで日々映像につきあっている。食傷ぎみで多分クラシック映画など観る気がしないであろう。電車などでスマホを撫で摩っている人をぼんやり眺めてウツラウツラしているとふと思う。そのうち指先も進化するに違いない。ある日ベッドで目覚めるとカフカの「変身」[1]ではないが、そう、私は大きなカメレオンに変身しているかもしれない。眼は右と左のディスプレーをグリッ、グリッと見ながら、E.Tのような指だけは微妙に動いている・・うえー、気持ち悪るー・・・。
ちょっと一息いれようではないか。不思議の国のアリスのようにクラシック映画の洞穴にとびこんでみよう。
朝の東京行き新幹線の電光ニュースで
「映画監督のビリー・ワイルダー死去・・代表作は七年目の浮気・・」
と流れた。おーJR東海もヤワラカクなったものだと思った。「七年目の浮気」はモンローウオークで有名なマリリン・モンローの主演映画だ。
映画にあまり興味のない方は
GO TO 10
というのもビリーは監督として他にも多くのヒット作を生んでいる。質も高く「失われた週末」、「サンセット大通り」、「アパートの鍵貸します」でアカデミー賞、「地獄の英雄」でヴェネチア国際映画祭賞、「麗しのサブリナ」でゴールデン・グローブ賞など受賞をしている。
「七年目の浮気」[2]は受賞はしていないが代表作として誰しも(男なら)異存のないところであろう。主人公リチャード(トム・イーウィル)は小さい出版社に勤めている。まず出だしは映画「カサブランカ」[3] のパロディ風でマンハッタン島の地図とナレーションから始まる。リチャードは妻子をニューヨークの駅から避暑に送り出したあと勤務して帰りに食堂で260キロカロリーのダイエット食をとる。給仕のおばさんにお釣りをヌーディストクラブに寄付すると言われる。皆がヌードになれば敵か味方かわからないから戦争にはならないと大声で言われ、ほうほうのていで逃げ出す。自宅に戻り中庭の椅子でほっとしてあれこれと妄想をはじめる。妄想はリチャードの癖なのだ。「若い頃はもてた」と奥さんに言い、奥さんは編み物をしながら「Name one?」と笑いながら相手にしない(このへんは全て妄想)。砂浜でのラブシーンは「地上より永遠に」[4] のパロディになっている。盲腸の手術の時に看護婦に言い寄られたときや、会社の秘書に誘惑されたとき冷たくあしらうのもハードボイルド「三つかぞえろ」のボギー風だ。
そこに2階の手すりから植木鉢が落ちてきて当たりそうになる。怒りかけるが落としたのが若い美人(マリリン・モンロー)だったので顔がほころぶ。まー男女の力学とはこんなものだ。下でご一緒にということになる。下着を冷蔵庫で冷やしている、といった有名なジョークもこのあたりで出る。夜が暑いので水風呂に入って寝たが、水道のパッキング壊れていたので足の親指を蛇口につっこんでいた。それが抜けなくて配管工に来てもらったとき恥ずかしかった。恥ずかしかったのは殿方の前で足にマニキュアをしていなかったからだ、など意外なことも言う。こうなるともう謹厳実直な男子といえども・・いや、はなから下心のあるリチャードは元気づき、ラフマニノフの曲で雰囲気をだして口説きにかかる[5]。しかし「これクラシックね。だって歌がないもの。」とその曲にしびれる様子もない。なんとかピアノに並んで猫踏んじゃったのような曲を弾くところまでこぎつけるが、さてキスを、という時に二人ともピアノの椅子から転がり落ちておじゃん。リチャードは平常心を取り戻し、謝って帰ってもらう。
翌朝に出勤し、社長に、妻のところへ行くので休暇をとりたいと言うと「家内がいない時こそ最高!ワッハッハ」と相手にしてくれない。あきらめて出版予定の原稿の下読みをすると、それに結婚7年目ぐらいが危険と書いてある。ちょうどそこへ著者の精神科医がやってきて、自分の患者が窓から飛び降りたので15分早く来たと言う。医者は表紙のイラストが煽情的すぎると文句をつけるがリチャードはそうでないと売れないとつっぱねる(昨今の新聞の雑誌広告を見れば一目瞭然)。医者が帰った後にまた妄想が湧き上がる。昨日の件をあの女性が配管工に話したかもしれない。テレビのCMもしているので、そのときにしゃべられると避暑地の家内にも知られてしまう[6]。あー最悪だ。いや、とにかく家内に電話しよう。声のちょっとしたトーンで分かるはずだ。そこで電話したところ皆はハイキングに行ったとのこと。とたんにリチャードはひばりのようにうきうきした気分になるが、すぐにハイキングに同行した男と妻の関係に疑惑の黒雲が湧き上がる。
まだまだ延々とつづくが、リチャードの熱演はとても文字で表せない。ただ後ひとつ追加しておく。それはモンローが地下鉄の通風孔からの風に煽られたスカートを手でおさえるシーンである[7]。当時はその程度で世界中の男性の目を惹きつけた。さらに驚いたのは昭和30年にアメリカでは健康のためのベジタリアンや禁酒や禁煙の意識の高かったことや、空調、ステレオ、カラーテレビの普及などだった。
諸君!
これらが総天然色!!さながら万華鏡のようにピンク色の肌とともに多感な中学2年の男子生徒に与えたショックはとても理解できまい。
10 CONTINUE
はじめの新幹線の話にもどそう。
「七年目の浮気」のことは忘れて午後の半日は田町駅近くの学会でマジメに過ごした。その帰り、新幹線にやっこらせと座り、柿のタネを一掴みかじってビールをウグウグと流し込んでいるとふと目にとまった。
「映画監督のビリー・ワイルダー死去・・代表作は昼下がりの情事・・」
な、なんと代表作の題名が入れ替わっていたではないか。映画に無関心の方はどっちでもよいことだが、コチトラはそうはいかない。
「昼下がりの情事」[8] は昭和32年の作品で、オードリー・ヘップバーンとゲーリー・クーパーが演じる。
再び映画にあまり興味のない方は
GO TO 20
出だしは・・パリはロンドン、NY、東京と同じ大都市であるが二つだけ異なり、それは食欲と恋愛だ、というナレーションで始まる。主役は音楽学校の生徒でしょっちゅうチェロを抱えているアリアーヌ(オードリー・ヘップバーン)とアメリカの大富豪でプレイボーイのフラナガン(ゲーリー・クーパー)。脇役はアリアーヌの父で私立探偵のクロード(名脇役モーリス・シュバリエ)でかためている。当時、ヘップバーンは28歳でクーパーはちょうど倍の56歳。クーパーの数々の栄光を知らない方は、オードリーがなぜこんな年上と昼下がりに情事を?と疑問に思うはずである。
アリア−ヌの父クロードが、調査依頼を受けていた客に、その奥さんとフラナガンとの不倫の証拠写真を渡す。その客は確認して怒り心頭、ピストルで今夜その現場のホテルへ殺しにいくと言い残して帰る。それを聴いたアリアーヌは警察に電話するが、パリでは毎晩4万組もの不倫があり、いちいちつきあえない。ピストルから弾が発射され、次にそれが当たってから電話してくれと断られる。アリアーヌは二人が不倫中のホテルに侵入して奥さんと入れ替わり二人はかろうじて難を逃れる。フラナガンはアリアーヌに興味をもちデートを申し込む。専用の演奏隊をひき連れてムードをつくるのが彼の常套手段だ。やがて互いに好意を持ち始めるがフラナガンは他でもお盛んである。アリアーヌも張り合おうと自分もボーイフレンドが一杯いると可愛らしい嘘をつく。
フラナガンは疑いつつも彼女の素行調査を(父とは知らずに)クロードに依頼する。父クロードは、娘がかねてより恋わずらいしているとは気づいていた。その時始めて娘の恋わずらいの相手がフラナガンだと気づく。そして、クロードは調査結果を渡しながらボーイフレンドの件は虚勢をはるための嘘であり、もし彼女を愛していないのであれば手を切って欲しいと頼む。そこまで立ち入ったことは依頼していない、とフラナガンが断ると「私は彼女の父だ」と告白する。フラナガンは仕方なくその意見に従い急遽パリを去ることにした。駅で見送るときもアリアーヌは必死に涙をこらえてボーイフレンドが一杯いるから平気だと言う。汽車が走りだしても一緒について走りながら次々ボーイフレンドの名前を叫びながら平気だという。そして最後にフラナガンに列車内へ抱えあげられハッピーエンド[9]となる。ホームにチェロを抱えた父と演奏隊を残して。
20 CONTINUE
このオードリーとクーパーの「昼下がりの情事」は「七年目の浮気」より、はるかに清純だ。もしかしたら、いやきっと誰かJR関係のしかるべき方から電光ニュースに注意があったのではなかろうか[10]。なにかもっとましな題名に変えるように、と。
モンローに比べ、オードリーは妖精のようなイメージがある。クーパーもどこか品がある。日本でも小津安二郎監督の「晩春」で杉村春子が原節子に見合いの相手の口元がゲーリー・クーパーにそっくりだ[11]と勧めるくらい上品?なのである。又、私の尊敬していた向田邦子女史もクーパーの大ファンであった[12]。
しかし、だからといってモンローも世のPTAの方々が毛嫌いされるほどのことでもない。色川武大(作家)、小田島雄志(東大教授)、神吉拓郎(作家)、油井正一(ジャズ評論家)の4人の面々の座談会(肩書きは28年も前)では、どのビデオを見たいかで「七年目の浮気」が即座に全員一致で決まったし、諸井薫も絶賛している[13]。今のアメリカ大使の父上にも愛されたとの風聞が一時流れた。
女優ベストテンでは [14]では4位がマリリン、5位がオードリー、[15]では1位がオードリー、7位がマリリンとなっている。いずれも10位以内である。
決して電光ニュースの内容をわざわざ入れ替えるほどのこともない。もっとも、ここまでクドクドいちゃもんつけるのも大人げ、いや年寄りげない?と言われるとそれまでだが。
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写真-1 SE'04 副議長 Joseph Penzien博士の挨拶
以上までは、大阪への帰り新幹線の電光ニュースの「たった一行」から始まった映画の話だった。
ついでに、「たった一言」から始まった出来事を紹介しよう。
その言葉というのは
「Waterloo Bridge という映画を観たか?」
という言葉だ。
新御堂筋を走っている車でLiuさんが言った言葉だ。
「いや。」と私。
「橋の上で二人が出会って空襲で地下に逃げる・・・」
「えーと、それは確か「哀愁」という映画だ。日本では、君の名は、というラジオドラマのモトネタにもなってさらに有名になった。」
それには答えず
「ウイリアム・ホールデンだった。」
とつぶやく。
「いや、ロバート・テーラーだ。」
と否定すると、何度かウイリアムだとくりかえして言い張ったが、
「あーそーだった。ロバートだ。あの映画を観て何度も泣いた。」
そう言ったまま黙ってしまった。
車窓に流れる雨の千里ニュータウンを眺めながらホテルに送りとどけるまで窓を向いて黙ったままだった。
あくる日に手書きで書かれたスマートストラクチャー会議の企画案がLiuさんから手渡された。Liuさんは米国国立科学財団(NSF)の耐震部門の局長で一ヶ月前に心臓手術を終えたばかりの体だった。にもかかわらず日本の制震構造視察に約束通りにやってきたのだ。阪大側の段取りは古川忠稔助手(現・名古屋大准教授)がすべて取り計らってくれた。(いざというときの対応に私の高校の先輩で医学部の心臓移植担当のM教授を心積もりしていた。)
翌年にLiuさんの企画案のもとNSFと日本科学振興会(JSPS)の支援もあって阪大のコンベンションセンターで国際会議SE'04が開催された。プロシーディングスはぎっしり詰まった英文の710ページに及ぶもので、向井洋一阪大講師(現・神戸大准教授)らの忍耐と寛容による編集で完成された[16]。 Welcome Party は吹田万博公園内のホテルで行われ、写真-1は会議の副議長をお願いしたJ.Penzien 博士による挨拶である。ちなみに議長はLiuさんの指名により私が務めた。多くの方々のご協力のおかげでなんとか無事終えることができたが、Liuさんの私への議長指名は、
「Waterloo Bridge という映画を観たか」
からの短い会話が関係していたように思っている。
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- [1] カフカ「変身」世界文学大系58、筑摩書房。
その書き出しはこうだ。ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変わってしまっているのに気づいた。 - [2] 原題は The Seven Year Itch (1955)であり中学2年の時に新聞広告で大きくでたのでItchを辞書でひくと浮気ではなかった。
- [3] ハンフリー・ボガード(愛称はボギー)とイングリッド・バーグマンの映画。本コラムでも何度か登場。アメリカ人が最高にかっこよくフランス人が優柔不断でナチは極悪非道という典型的なパターン。当然ドイツ人には評判のよくない映画。ジュリー(沢田研二)がカサブランカダンディでボギーを思いっきり称えて歌い上げている。宇崎竜童の「1年前ならちとわからねー」という歌のキザなセリフもこの映画に影響されているとみている。
- [4] この漢字題名は「ここよりとわに」とよみ 原題は From Here to Eternity。「王様と私」のデボラ・カー、「終着駅」のモンゴメリー・クリフト、My Way が持歌のフランク・シナトラも熱演した問題作でアカデミー賞を受賞。リチャードはこの映画のバート・ランカスターの役を演じているつもり。
- [5] アメリカ映画はラフマニノフがお好みのようだ。その曲は「旅愁」にもでてくる。二文字の似た題名は「哀愁」、「旅情」、「慕情」、「悲愁」、と多いので実に紛らわしい。原題の訳とはいえないものが多い。
「旅愁」はカプリ島が舞台で主演女優はジョーン・フォンテーン。主演男優はジョセフ・コットン。フランスの女優フランソワ・ロゼも出演し圧倒的貫禄を見せている。ジョーンと不仲の実姉は「風と共に去りぬ」でメラニー役を演じたオリビア・デ・ハビランド。この姉妹は戦前に東大の教官であった父とともに東京に住んでいた。二人は互いにはりあって戦後にあい前後してアカデミー賞を受賞している。ジョセフ・コットンは「第3の男」の最後のシーンでアリダ・バリに並木道で完全無視されている。それを可哀想に思ったか「旅愁」ではもてる役に抜擢された。「第3の男」でオーソン・ウェルズを追跡する連合軍少佐役のトレバー・ハワード。彼も可哀想に思われたのか「逢いびき」でもてる歯医者役。抜擢したのは「アラビアのローレンス」、「戦場にかける橋」、「ドクトル・ジバゴ」、「旅情」、「大いなる遺産」などの大監督デビット・リーン。 - [6] 昭和30年であったにもかかわらず、このシーンでは既に鮮やかなカラーテレビであった。ひょっとして合成映像だったのかもしれない。
- [7] 地下鉄の通風孔から吹き上がる風でスカートが巻き上がるのをモンローがおさえうシーンである。当時はこの程度で世界中が大騒ぎになった。ちなみに、グレン・ホップ, Mitsuko Hiraishi 訳「BILLY WILDER」Taschen GmbH出版,2003 ,p.180 には、通風孔の扇風機操作係りに多くの男が名乗り上げたとある。
- [8] 原題は Love in the Afternoon.(1957)有名なテーマソング♪魅惑のワルツ♪はIt was fasination I know ---ではじまる。 今でもCMなどで使われている。
- [9] ちなにベニスの駅で必死に追いかけて花を渡し損ねたのはロッサノ・ブラッチ、受け取り損ねたのはキャサリン・ヘップバーンで映画は「旅情」。完成は「昼下がりの情事」の2年前の1955年。監督はデビット・リーン。オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」はさらに2年前。共演はグレゴリー・ペックで監督はビリー・ワイルダーと仲良しだったウイリアム・ワイラー。二人は時々間違えられたらしい。同じヘップバーンでもキャサリン・ヘップバーンもオードリーにひけをとらない。日本以外ではむしろキャサリンのほうが評価は上。なおヘボン式ローマ字のヘボン博士のスペルも実はヘップバーンと同一。
- [10] 占領下にあったとき日本上陸の台風の名前にキャサリンとかキティとかジェーンといった女性の名前がついていた。キティ台風の時は父と一緒に社宅の雨戸を押さえていた。雑誌の一こま漫画に、気象庁の米軍役人に奥さんから「私の名前を付けたわね!」という怒りの電話がかかっているのがあったが、まさか「七年目」の電光ニュースはJR関係の奥さんからの一言で入れ替ったのでは?
- [11] フィルムアート社編集「小津安二郎を読む」1998年改定第9刷、p.196
- [12] 和田誠「映画に乾杯」キネマ旬報社、1982、p.214
この本の題名は「カサブランカ」での名セリフ"君の瞳に乾杯"をもじっている。
このような本を読むと、よく知られた映画評論家以外にも向田邦子や立川談志をはじめ多くの映画通のいることが分かり、映画について語るのが恥ずかしくなる。又、この本ではないが池波正太郎のフランス映画評などは味覚とスケッチ付ときている。まいった。格が違う。 - [13] 文藝春秋「我が青春の女優たち」1987、pp.100-108
- [14] 「−大アンケートによる−洋画ベスト150」文藝春秋編, 1989,p.17
- [15] 「文藝春秋Special 」季刊夏号2009
- [16] 'SE'04', Proc. of Int. Sym. on Network and Center Based Reserch for Smart Structures Technologies and Earthquake Engineering, Edited by E.Tachibana, B.F.Spencer, Jr and Y.Mukai, 2004
- [1] カフカ「変身」世界文学大系58、筑摩書房。
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